「誰かがやらなきゃいけないんだよね」
その一言が、すべての始まりだった。
少年野球の父母会長。
正直に言えば、やりたい役ではなかった。
人数は足りていない。
引き継ぎは、ほとんどない。
「できる人がやる」という空気だけが、ずっとそこにある。
気づけば、周りは静かになっていて、
断らない人間だけが、その場に残っていた。
――断ったら、チームが回らなくなる。
――誰かがやらなきゃ、子どもたちが困る。
そう分かっているからこそ、
「やりません」とは言えなかった。
このときは、まだ思っていた。
「大変だとは思うけど、なんとかなるだろう」
「一年だけだし、乗り切れば終わる」
「子どものためなら、仕方ない」
今振り返れば、
それは“何も知らなかったからこそ言えた言葉”だった。
父母会長になった途端、世界は一変した。
LINEは鳴り止まない。
週末だけでなく、平日にも連絡が来る。
「これ、どうなってますか?」
「誰がやるんでしたっけ?」
「急なんですけど、お願いできますか?」
どれも悪意はない。
ただ、窓口が自分になっただけだ。
でも、その「だけ」が、想像以上に重かった。
決定事項が曖昧なまま、判断を求められる。
過去のやり方は分からない。
聞こうにも、前任者はもういない。
「去年はどうやってたんですか?」
その質問に、答えられる人が誰もいない。
それでも、答えを出さなければいけない。
一番しんどかったのは、
誰にも弱音を吐けないことだった。
父母会長という立場になると、
自然と「できる人」「分かっている人」に見られる。
だからこそ、
「正直、きついです」
「もう手一杯です」
そんな言葉は、飲み込むしかなかった。
家に帰れば、家族がいる。
仕事もある。
子どもも野球をしている。
自分が投げ出せば、
どこかで誰かが困る。
その構図が、頭から離れなかった。
それでも、心のどこかで思っていた。
「これ、本当に必要な苦労なのか?」
「こんなに消耗するほどのことなのか?」
「少年野球って、こんなに大変なものだったか?」
――めんどくさい。
その言葉が、何度も頭をよぎった。
でも、口に出すと、
まるで自分が悪者になる気がして、言えなかった。
このときは、まだ知らなかった。
この一年で、
何度も心が折れそうになり、
家族との関係が揺らぎ、
それでも最後には、
忘れられない一瞬に立ち会うことになるなんて。
これは、
父母会長として過ごした一年の記録であり、
少年野球の「めんどくさい」の正体と、
その先にあったものの物語だ。
あの日、
「誰かがやらなきゃいけない」と言われたとき、
少しだけ勇気を出して引き受けた自分に、
今なら、こう言える。
――間違ってなかった。



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